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明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

ぱちぱち男爵てつお&モモグラモ

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★久々のイギリスでのホリデー、地元でまったりしました。パブにスタバ持ち込む自由なぱちぱち男爵。

毎年家族や友人に送るカードで「あけました」をやらかしてしまう夫、今年は時間がなく私が書いたので起こりえないだろうとほっとしていたら、TWITTERでやっちまった。

「あけましたおめでとうございます!」

ひっくり返った2015年のスタートである。

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★イギリス帰ったらすっかり冬でした。

前回はなんだか、私の面白くない話をうだうだと書いてしまったので、日本での貴重な体験と平行して帰ってきてからのイギリスの日常もお届けしていこうかと思う。

まずヒースローに迎えにきた夫を見て、2ヶ月ぶりに思ったこと、

なんか、やせてないか?いや、引き締まってるのか?

なんせ、高校生のときに買ったサーフパンツをいまだに部屋着で穿いている夫なのだ。
元々痩せ型で、あまり変化に乏しい彼が一番ぷくうとしたのは、3年前に二人で長めに日本に滞在して、「ぎゅうどんは朝ごはんです。」、「おうどんはおやつですから!」、「はーーーなんでいつも日本にいるとおなかがすくんですか、もっかい肉まん食べていいですか。」、「いまのはカウントしないでください、おやつですから、3食まだ食べてません。」

などといいながら、更にポッキーやらミスタードーナッツやらをむさぼっていたあの時期であろう。

それでも、イギリスに帰ってきてからはまた「しゅう」と痩せた。

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★日本のお友だちからもらったお菓子が美味しすぎます。嬉しすぎます。

その夫が、なんだか空港で更にやつれて別人のように見えたのである。おったまげた。

そういえば、わたしが日本にいる間、ちゃんと食べているかと聞くと、

「はい、ブロッコリーたべました。おいしかた、」

などと返事が来たので、お野菜ちゃんと取れてえらいじゃないか!と感心してはいたのだ。それが、次の日に、

「何を食べた?」、と聞くと、

「ブロッコリーたべました。おいしかた。」

更にそのまた次の日に、

「ブロッコリー、おいしかたよ。」


彼がブロッコリーをすきなのは知っていたが、そこまで執着していたか?とふと不安になり、

「では他に何を食べたの?」と聞くと、

「なにも。ブロッコリーだけ。」

ひえーーー、思わず電話を片手にひっくり返った。

「パンは?お米は?パスタは?!!!」

「たべてないですよ、おうどんはたまに食べます、すてきねー。」

「たまにじゃなくていい、この際心配だから全部食べてもいいから、しっかり食べなさい!」

「しっかりブロッコリー食べてます。」

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★が私はイギリスに帰り病気しましたが、看病中のご飯もブロッコリー山盛りでした。

私がイギリスに来たとき、夫の家族や友人があまりに食事に無頓着なのにびっくりした記憶がある。
私は少しずつ色々な種類のものをいただくのが好きだし、日本人として当たり前だと思っていたので、夫がソーセージにゆでた芋、缶詰から出して温めただけの出来合いのBAKED BEANSをディナープレートに盛り、冷凍グリーンピースをでんとおいて、やはりディナープレートにそれをみなでとりわけ、グレービーをかけたり、塩コショウも各自で、今思えば個人を尊重する文化ならではかと思うが、当時は分け合うことがない食事が味気なく悲しかった。

義理の弟のフラットに遊びに行ったときは、夕食というより、「ソーセージと芋」だけしかなかった。

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★うちご飯も在英8年目で、だんだん似てきたけどね。

私の友人のロンドナーは、パブで延々と飲み、(つまみなし)おなかがすくとマックに飛び込んで、またパブに戻ってきては飲むのである。

それが嫌でいやで、私はお酒が好きだからつまみなしで飲む事にも慣れずに、もういっそのことお酒も飲まないでいいと最初の1年は食に関しては魂が抜けてしまうほどに何も感じなくなった。

元々家族、特にばあさんが食通だったので、正月にはこのわたにこのしろで日本酒をちびちびやり、小さなころからマグロを買いに魚市場までついていき、季節になればせいこ蟹おっかけ北陸へ。

お肉はみすじじゃなきゃとわがままなばあさんのおかげでいっぱい勉強させてもらった私、1年目のイギリスは本当に苦しかった。

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★今は顔ほどでかいフィッシュ&チップスや、近所のカフェのかわりばえない朝食、全く流行らないケーキ屋の恐ろしいディスプレイにもなれました。いや、美味しく感じます。さらば、私の日本舌。

どうしても我慢できないと、中近東料理、レバノンやトルコ料理などはMEZZAという前菜の種類もおおくて野菜もたっぷり、お豆もたっぷりなので、メインをシェアして前菜をいっぱい頼んで居酒屋気分で発散したが、友達もまったくいなかったし、夫は見たことがないものに手をつけるタイプではなかったので、二人で行ってもちっとも盛り上がらずに余計にストレス。

中華などもあるが、とにかく量が多いので残すことが嫌いな私には苦しくて無理だった。

そんなことを、夫の「ブロッコリーたべました。」を聞きながら、ふと思い出していた私。

今でこそ、「おにくのおばあさん」や、家族友人のおかげで納豆にモツ煮、御節(ことしは男爵オリジナルを作った、またご紹介したい)、銀杏、おでんも大好きな彼だが、少しほうっておくと本当に「ミスターブロッコリー」、やはり食への関心は日本人とはやはりぜんぜん違うのだ。

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★私たちの住む街です。ウィンブルドンの会場にも歩けます。安パブとかあります。

さて、二ヶ月ぶりにイギリスに帰り、空港から家についてその日は夫が夕食を作ったのだが、私の大好きなラム肉のステーキ、それにマッシュルームのソテー、そしてやっぱり、出た、

ブロッコリー。

今日もこんにちはブロッコリー。

もう、もう、今日くらいはいいのでは。

しかし、そのディナーの席で、

「もちんが帰ってきたから、一緒にサンデーのちょっとご馳走な食習慣を一緒に共有したい、付き合ってちょう。」

そういっていたので、いいや、ブロッコリーでもいい、日曜日は素敵な一日を送れるっぽいからとわくわくしていたら、


日曜日、まずは朝たたき起こされ、

「まず、朝はジムにいきます。」

ほほう、まあいいや、時差ぼけで辛いが健康的だからいく。

「そして、卵を2個食べます。それにスモークサーモンを食べます。」

スクランブルエッグがなんかかと期待したが、ゆで卵に、サーモン。あ、あれ。

「夜はうどん、おわりです。ゆじこしょ、いれます、おいしいねー、」

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★なんか、こう、マーケット巡りとかしませんか?


私は「どこかのカフェでブランチして、一緒に買い物にいって・・・・。」などと、そういうことを期待していたのだが、彼の新たな大事な習慣は、

「卵2個にスモークサーモン」、「夜はうどんゆず胡椒入り」

すごい、すごい涙が出るくらい豪華。うん、たぶん。

なんでも私がいなくて、暇で暇で、ブロッコリー食べてはジムに行ってばかりだったらしい。

仙人にでもなるつもりだったのだろうか。


話はガラッと変わるが、私が日本にいる間にゴードンのおばあちゃんが亡くなった。
まだ60歳代だったのだ。すごくお元気で、一度南アでお会いしたときには、

「がはははは、なんとなく、こんなかんじじゃない?」と、ウィスキーをぐわっとグラスについで、

「これ、シングル。」と、絶対にそうは見えない量を一気に飲み干して、「孫が帰ってきた!嬉しいなあ。」と笑っていらっしゃったのを覚えている。

おばあちゃんといっても、ゴードンの母のミシェルは小さなころ本当のお母さんを亡くしているのだから、ミシェルのお父さんのスチュワートが後に再婚した方であった。それでも、ゴードンが生まれる前にすべて起こった出来事であったので、ゴードンにとっては本当のおばあちゃんとなんら代わりのない、大切な存在だった。

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★思いでのgem squashも、今日は涙が出て味がわかりません。

ミシェルがゴードンを身ごもったとき、「いやだわ!わたしはこんな若くしてバーさんになりたくないわ!」と、猛反対していたのに、夫が生まれて真っ先に病院にばたばたと駆けつけて「なんてゴージャスな子なの!」とでれでれしていたのも祖母、リンだった。

「階段から落ちたんだ、脳出血して、そのまま意識がない。」

沈んだ声で言っていた夫、その数日後におばあちゃんはあっけなく天国に召されてしまった。

おじいちゃんであるスチュワートがなくなったときも、リンがなくなったときも、南アへは帰れなかった。頼る人がいなければ、あの国では車もなしにどうすることもできないのだ。

ちなみに、ミシェルの実の母親はミシェルの目の前で銃で撃たれてなくなった。

私は沈んだ夫の声を聞きながら、もう夜だというのに学生さんがスカートで自転車にのり家路を急ぐ光景や、明るいコンビニの前で話しながら笑う方たち、会食のあとなのだろうか、お子さんの手を引っ張りながらとても綺麗なエレガントな服を着て、品の良いバッグを下げながら、お子さんと歌を歌いながら道を行かれる方たちを、遠くイギリスからも南アからも離れた日本のフラットのベランダから眺めていた。

「もう、みんないなくなりました。わたし、おじいさん、おばあさん、日本のおじいさんも、だいすきな日本のおじさんおばさんも、みんなみんないなくなりました。」

すすり泣くように電話の向こうで夫がそうつぶやいた、その話を日本の最後のボスで生き残りである祖母にしたら、

「なにいっとんじゃ!まだお肉のおばあさんがいると、早く会いに来いとゴードンにいっておけ!」

というので、「おばあさんがこういっていました。」とLINEをその後送ったら、

いっぱいのいっぱいの泣き顔のスタンプとともに、

「優しい。」

と、一言返ってきた。

17歳でアフリカを出て大好きなじいちゃんばあちゃんのお葬式にも、お墓参りにもいくことができず、イギリスでどんなに辛く悲しかっただろう。

「日本があるからね、イギリスの生活が辛いと最近言うけれど、ゴードンの家はここだけじゃない、私たちが住むとこ、いっしょにいるとこ、全部、私たちの家なんだ。それに、日本は故郷だよ。ゴードンと私の故郷、君を待っている人も、温かく迎えてくれる人も日本にはまだいっぱいいる、一人じゃないよ。」

そう返事をしたら、どでかいスライムが3段になってわんわん泣いているスタンプが帰ってきた。

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色々生きてりゃあるが、「優しい。」そう書かれたLINEのメッセージをながめながら、私もあることを思い出していた。

前回のブログで書いたように日本に2ヶ月逃げ帰った間、大好きな長野を旅した。
たちよった奈良井宿の駅で私がイギリスから一時帰国していること、長野が大好きで義父が生まれ育った大事な場所だとつらつら話しているうちになぜか、本当に突然涙が込み上げてきて止まらなくなった。

父よりずっとご年配であろう優しい目の駅員さんは、そんなわたしに戸惑っただろうか奥に引っ込んでしまった。申し訳なかったと思っていると、

「お召し上がりください、よかったら。」

顔をあげると、駅員さんの笑顔、手にはきちんと手拭きが添えられた可愛い一房のぶどうが。

「塩尻でとれたばかりのぶどうです、とても美味しい。ゆっくりすわって、あったまって、食べていきなさい。長野によく来てくださいました。ゆっくり、ゆっくりしていってください。」

私は止まらない涙を押さえられず、小さく風情のある待合室でそっとブドウをつまんだ。口一杯に香り高い、優しい甘味が広がった。

私には帰る場所がある、夫にはどうだろう、私は日本で彼を放りっぱなしで何をしているのだ。

早く彼におかえりと言ってあげなければ。

2ヶ月日本にいる間、こうした人々の温かさ、思いやりの度にわたしの心は癒されて、暗闇のトンネルを少しずつ「ほら、明るいところに来なさい」と、本当に一杯の手に引っ張られながら抜けていった。

そして今、わたしはイギリスにいる。平和で何てことない毎日だが、穏やかだ。

夫には帰る場所が又戻ってきた。私と、日本。
今わたしの横には安心して穏やかに笑う夫がいる。

日本のみんな、本当にいつもありがとう。

ゴードン、今度は一緒に帰ろうね。




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